福島県人移住110周年記念式典挨拶【2017年10月24日(火),20:45~】
平成29年10月25日
→スペイン語:Español
ペルー福島県人移住110周年記念式典にあたり,ご挨拶を申しあげることができますことを大変光栄に存じます。私は2015年に開催されたペルー福島県人会創立100周年の際にも,ご招待いただき,ご挨拶申し上げました。そのときには,ビデオで登場し式典の御挨拶をされた内堀知事を,本日,この会場にお迎えして式典をお祝いできることは大変素晴らしいことだと思います。
あれから6年以上が経過します。日本中が震えたといっても過言ではありません。東日本大地震の際に福島県は大きな被害に見舞われました。ペルーでも,国全体が哀悼の意を表し,震災被害を痛み,一刻も早い復興を心から願い,多くの善意が集まりました。福島県人の皆様,日系の皆様が,その先頭に立って福島県を応援しました。心から心配をしました。
その福島県が今復興してきていることを先ほど,この場所で内堀知事から丁寧にご説明を頂きました。率直に喜びたいと思います。しかし,なお,多くの困難があることも同時に知りました。今後も頑張って頂きたいと思います。震災がまさに発生したその時から,先頭に立って頑張っておられる知事,議会議長,そして福島県民の皆様に心からエールを送ります。
かつて日本から多くの移民が新世界に渡りました。福島県人はペルーでもそのほかの国でも一大勢力です。それは何故なのか。私は,幕末における会津藩が果たした役割が関係しているのではないかと思っています。福島県には,気候風土など多くが異なる,浜通り,中通り,そして会津藩が治めていた会津の3つの地域があります。会津が福島県と単純に同じであるとは言えません。しかし,侍の時代が終わる幕末においては,会津藩はこの地域の盟主というべき存在でした。
幕末の会津藩は最後まで明治新政府軍に敵対し,会津戦争を戦い敗北しました。明治時代に入り,藩はなくなり,福島県に変わりましたが,その地域は明治政府から冷遇されたといわれています。幕末において,会津藩士の優秀さは有名でした。明治時代になっても,福島県では人材は豊富でした。しかし,活躍する場が少ない,与えられない。こうした環境から,多くの福島県人が海外に活躍の場を求めたのではないでしょうか。本日お集まりの皆様を拝見いたしますと,県人会の皆様がペルーで大活躍されていることがわかります。
今日,日本とペルーの友好関係は深く,盤石の関係であると思います。それは,ペルー福島県人会を始めとする日系人の皆さんの活躍が,ペルー社会に高く評価され,温かく受け入れられているからこそであると思います。
本日ご出席の内堀知事,杉山議長におかれては,ぜひ福島県の復興とさらなる発展にご尽力頂きたいと思います。
最後に,福島の魂を受け継ぐペルー福島県人会の皆様のますますの発展,ご活躍をお祈り申し上げます。