大使の挨拶
令和3年4月12日
リマ日本人学校入学式祝辞
皆さん、お早うございます。在ペルー日本国大使として一言お祝いを申し上げます。
3月の小学部卒業式に続き、本日、中学部入学式にオンラインで出席することができ、とても嬉しく思います。
本日、入学された皆さん、誠におめでとうございます。ペルーの大統領選挙の年に行われた入学式ということで、今日のことは皆さんの記憶に更に深く刻まれることになるのではないかと思います。
保護者の方々に対し、心よりお祝い申し上げます。お子様をここまで育てられたことにはひとしおの感慨があるかと存じます。成人に達するまではもう暫くありますので引き続き宜しくお願い申し上げます。
学校運営委員会、石川校長先生をはじめとする教職員、PTA、全保護者の皆様におかれては日頃よりの御尽力に改めて敬意を表するとともに、引き続き児童・生徒の教育指導を宜しくお願い申し上げます。また、この機会を利用して、地元関係者に対しても日本人学校のためにこれまで頂いた強い支援に感謝しますとともに引き続き温かい協力をお願いします。
大使館としましても引き続き教育面、財政面、安全面等で皆様と緊密に二人三脚で連携しながら、少しでも良い子供達の教育環境作りに尽力したいと考えています。お気づきの点等あらば、学校運営委員会を通してあるいは日頃の連絡の中で、遠慮なく大使館に対して御意見を頂ければと思います。
現在文科省が認定乃至指定した在外教育施設は全世界に100校余りあります。本校もその1つです。児童・生徒数は減少傾向にありますが、総合的に見て決して他の学校に引けを取らない立派な日本人学校だと思いますので、当面はオンラインを活用しながらしっかり学んで、新たな友人を作って、本校の栄えある歴史を刻んで下さい。
新入生の皆さんに一つのメッセージを送りたいと思います。それは、「道は拓ける」ということです。英語の諺でも”Where there is a will, there is a way”(意志のあるところ方法あり)という言い方があります。私は、今を去ること25年前、皆さんが生まれるずっと前の1996年に総理官邸で勤務する貴重な機会がありました。ちなみに、ペルー日本大使公邸占拠事件が起きたのもその年でした。話を戻すと、当時の橋本龍太郎総理の内閣で古川貞二郎内閣官房副長官(事務)の秘書官を務めました。ちなみに、月刊文藝春秋最新号に古川副長官が日本の官僚と政治の問題について寄稿しています。
この古川副長官の人生が波瀾万丈の典型でした。古川副長官は、学生時代、第一希望の大学受験に失敗します。就職試験では、大手保険会社の入社試験に再び失敗します。そして、国家公務員(上級職)試験にも失敗しました。それで、地元佐賀県の県庁に就職しようとしたところ、運悪く佐賀県が財政再建の最中で、採用を停止していた年でした。そのため、お隣の長崎県庁に何とか就職することになります。
しかしながら、もともと社会福祉事業への思いが強く、翌年再度国家公務員試験に挑戦します。今度は何とか一次試験に合格します。そして東京の厚生省(現在の厚生労働省)で2次面接を受けるために長崎から列車に乗って上京するのですが、その途中、伊勢湾台風という歴史的台風が日本を襲い、死傷者四万四千余名を出す大惨事となりました。それでも、面接試験前日、佐賀駅を出発して36時間後にやっと東京駅にたどり着きます。今で言えば飛行機でリマから東京に帰るより時間がかかりました。そのような苦労をして面接試験を東京で受けるのですが、あえなくいったんは不合格となります。
ここからが古川副長官の真骨頂ですが、翌朝、もう一度人事課長に会いに行き、厚生省に入って国のためにいかに仕事をしたいかという自分の情熱を全身全霊かけて改めて熱く語り直談判して訴えました。このままおめおめと九州には戻れないと必死になって人事課長に食らいついたそうです。その思いや情熱が通じたのか、人事課長からは、今日1日待ってくれと言われ、その日の夕方に何と内定通知を受け取ることになります。
厚生省に入った後も「道は必ず拓ける」という精神が、様々な逆境や困難に直面した際に自分を支えてくれたと副長官自ら回想しています。本人が是が非でもこれを実現したいという強い意志と熱意を持っていること、そして、周囲の家族や友人、仲間、上司が意気に感じて支援してくれて、とても無理だろうと思われた物事を成し遂げた訳です。
新入生の皆さん、「道は必ず拓ける」という前向きの積極的な精神で悔いのない中学生活を精一杯送って下さい。
最後に新入生の皆さんの楽しく充実した学校生活をお祈りして私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。
3月の小学部卒業式に続き、本日、中学部入学式にオンラインで出席することができ、とても嬉しく思います。
本日、入学された皆さん、誠におめでとうございます。ペルーの大統領選挙の年に行われた入学式ということで、今日のことは皆さんの記憶に更に深く刻まれることになるのではないかと思います。
保護者の方々に対し、心よりお祝い申し上げます。お子様をここまで育てられたことにはひとしおの感慨があるかと存じます。成人に達するまではもう暫くありますので引き続き宜しくお願い申し上げます。
学校運営委員会、石川校長先生をはじめとする教職員、PTA、全保護者の皆様におかれては日頃よりの御尽力に改めて敬意を表するとともに、引き続き児童・生徒の教育指導を宜しくお願い申し上げます。また、この機会を利用して、地元関係者に対しても日本人学校のためにこれまで頂いた強い支援に感謝しますとともに引き続き温かい協力をお願いします。
大使館としましても引き続き教育面、財政面、安全面等で皆様と緊密に二人三脚で連携しながら、少しでも良い子供達の教育環境作りに尽力したいと考えています。お気づきの点等あらば、学校運営委員会を通してあるいは日頃の連絡の中で、遠慮なく大使館に対して御意見を頂ければと思います。
現在文科省が認定乃至指定した在外教育施設は全世界に100校余りあります。本校もその1つです。児童・生徒数は減少傾向にありますが、総合的に見て決して他の学校に引けを取らない立派な日本人学校だと思いますので、当面はオンラインを活用しながらしっかり学んで、新たな友人を作って、本校の栄えある歴史を刻んで下さい。
新入生の皆さんに一つのメッセージを送りたいと思います。それは、「道は拓ける」ということです。英語の諺でも”Where there is a will, there is a way”(意志のあるところ方法あり)という言い方があります。私は、今を去ること25年前、皆さんが生まれるずっと前の1996年に総理官邸で勤務する貴重な機会がありました。ちなみに、ペルー日本大使公邸占拠事件が起きたのもその年でした。話を戻すと、当時の橋本龍太郎総理の内閣で古川貞二郎内閣官房副長官(事務)の秘書官を務めました。ちなみに、月刊文藝春秋最新号に古川副長官が日本の官僚と政治の問題について寄稿しています。
この古川副長官の人生が波瀾万丈の典型でした。古川副長官は、学生時代、第一希望の大学受験に失敗します。就職試験では、大手保険会社の入社試験に再び失敗します。そして、国家公務員(上級職)試験にも失敗しました。それで、地元佐賀県の県庁に就職しようとしたところ、運悪く佐賀県が財政再建の最中で、採用を停止していた年でした。そのため、お隣の長崎県庁に何とか就職することになります。
しかしながら、もともと社会福祉事業への思いが強く、翌年再度国家公務員試験に挑戦します。今度は何とか一次試験に合格します。そして東京の厚生省(現在の厚生労働省)で2次面接を受けるために長崎から列車に乗って上京するのですが、その途中、伊勢湾台風という歴史的台風が日本を襲い、死傷者四万四千余名を出す大惨事となりました。それでも、面接試験前日、佐賀駅を出発して36時間後にやっと東京駅にたどり着きます。今で言えば飛行機でリマから東京に帰るより時間がかかりました。そのような苦労をして面接試験を東京で受けるのですが、あえなくいったんは不合格となります。
ここからが古川副長官の真骨頂ですが、翌朝、もう一度人事課長に会いに行き、厚生省に入って国のためにいかに仕事をしたいかという自分の情熱を全身全霊かけて改めて熱く語り直談判して訴えました。このままおめおめと九州には戻れないと必死になって人事課長に食らいついたそうです。その思いや情熱が通じたのか、人事課長からは、今日1日待ってくれと言われ、その日の夕方に何と内定通知を受け取ることになります。
厚生省に入った後も「道は必ず拓ける」という精神が、様々な逆境や困難に直面した際に自分を支えてくれたと副長官自ら回想しています。本人が是が非でもこれを実現したいという強い意志と熱意を持っていること、そして、周囲の家族や友人、仲間、上司が意気に感じて支援してくれて、とても無理だろうと思われた物事を成し遂げた訳です。
新入生の皆さん、「道は必ず拓ける」という前向きの積極的な精神で悔いのない中学生活を精一杯送って下さい。
最後に新入生の皆さんの楽しく充実した学校生活をお祈りして私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。