大使の挨拶
令和3年3月5日
令和2年度第52回リマ日本人学校卒業証書授与式祝辞
皆さんおはようございます。日本の大使をしている片山和之と言います。宜しくお願いします。約半年前にペルーに赴任しました。38年間の外務省生活の中で、初めての南米です。在ペルー日本国大使館を代表して一言お祝いを申し上げます。
リマ日本人学校の卒業式に出席するのは初めてです。本来であれば、日本人学校にお伺いして直接お祝いしたかったのですが、パンデミックのためにそれが実現できず、本当に残念です。
これまで、クアラルンプール、ブリュッセル、デトロイト、クルーブランド、コロンバス、シンシナチ、上海等世界各地の日本人学校や日本語補習校の卒業式に出席して来ました。各地それぞれに特徴があります。例えば、上海には日本人小学校が2カ所ありますが、小学6年生の卒業生は合わせて300名近くいました。本日は、3人しかおらず上海の百分の1の規模ですが、その分、百倍のお祝いの気持ちが込められていると思って下さい。
10年前のこの時期は、ブリュッセルに住んでいて、現地の日本人学校・日本語補習校の卒業式に出席しました。ちょうど、東日本大震災が発生した時で、卒業生の児童・生徒が大きな不安を抱えて卒業して行ったのを昨日のことのように覚えています。
さて、卒業生の皆さん。卒業本当におめでとうございます。また、保護者の皆様に心よりお祝い申し上げます。
そして、生徒の皆さんを今日まで温かく見守り指導して頂いた教職員の方々に感謝申し上げます。
更に、運営委員会、PTA並びに全保護者の皆様に対し、学校運営と子供たちの成長のために多大な時間とエネルギーを注いで頂いたことを感謝申し上げます。また、温かい支援を頂いている地元関係者に対し心より御礼申し上げます。
ところで皆さん、リマでの学校生活はいかがでしたか?普通海外日本人学校の場合、親の転勤のため、途中で転校して来て、また、途中で去って行く児童も多いのですが、今回の3名の皆さんは、全員、6年間この学校に通ったと伺っています。みんなきっと一生忘れられないすばらしい思い出を沢山作ったのではないでしょうか。新型コロナウイルスが蔓延する中で、この1年間はオンライン授業、そして本日はオンライン卒業式を行ったことも、将来社会人になって振り返ると忘れがたい思い出になると思います。
皆さんは、全員、当地日本人学校中学部に進学されると伺いました。今後、節目節目で皆さん方の成長振りをここで拝見できるのを楽しみにしています。皆さんがこれから、中学生、高校生、大学生、そして社会人になる頃には、日本と世界各国との関係は現在のパンデミックにも拘わらず、それを克服して更に深くなっているでしょう。将来、国際社会の中で生きていくためには、日本、ペルー、そして世界のことを勉強して、異なった人々や文化に触れて自分を更に一層成長させて下さい。
その観点からすれば、皆さんは大変恵まれた環境で学んで来られました。ここペルーで異文化に触れながら日本語による日本の教育を受けて来られました。これは、きっと、皆さんの一生の財産となります。なぜなら、今後の日本、そして世界は、ますます皆さんのような立派な日本人であり、かつ、同時にグローバルな視点を持った国際人でもある人材を求めているからです。
私は、今から48年前に小学校を卒業しました。その後の約50年間は、長いようで短い、短いようで長い年月でした。この間、日本社会は人口増加、高度成長、世界第二の経済大国、バブル経済と浮かれ、その後は低成長、デフレ、財政赤字から、少子高齢化、人口減少という大きな挑戦に今直面しています。22世紀を経験する可能性のある皆さんにとって、想像もつかない変化が、更に今後の数十年間で起きることでしょう。
さて、この学校で、皆さんは、きっと尊敬できる立派な先生や親友にも巡り会えたのではないかと思います。札幌農学校(現在の北海道大学の前身)のウイリアム・クラーク博士(マサチューセッツ農業大学学長)のことをみなさんご存じだと思います。「少年よ大志を抱け」(Boys, be ambitious!)の言葉で有名ですね。もちろん、少年だけのことでなく、「若者よ、大志を抱け」と言った方が良いでしょう。明治時代の青年に大きな影響を与えました。しかし、彼が札幌にいたのはわずか8ヶ月です。そして、直接教えた学生は実は少数でした。しかし、内村鑑三、新渡戸稲造といったその影響を受けた卒業生が、その後近代日本に果たした役割には大きいものがあります。自分の一生に大きな影響を与える貴重な体験や出会いは、時間の長さでは必ずしもなく、受け手の感受性次第だということを覚えておいて下さい。皆さんもアンテナを高く張り巡らして貴重な出会いや切っ掛けを大事にして下さい。
最後にひとつ、贈る言葉を述べたいと思います。私は、広島県の福山市という瀬戸内の城下町で育ちました。広島県は移民を多く出している県でペルーにも広島県出身の日系人が少なくありません。小学校時代のある日、母校出身の大先輩の彫刻家平櫛田中という人が学校に講演にやってきました。文化勲章を受章した有名な芸術家でした。当時、90歳を越える高齢で講演の内容は全く覚えていないのですが、ひとつだけ、未だに頭に残っている彼の生活信条があります。それは、「今やらねばいつできる、わしがやらねば誰がやる」という言葉です。何か思いたったらすぐに取り組め、また、他人をあてにせず自ら率先してやれ、ということです。皆さんもこのような開拓者(パイオニア)精神をもって新しい時代を切り開いて下さい。
失敗を恐れず、どんどん、自分のやりたいことに情熱を持って挑戦して下さい。過去の偉大な発明や業績は、最初は、「そんなことは無理に決まっている」という周囲の冷たい視線で始まりました。そして、最後には、自らのたゆまぬ努力と継続、創意工夫と、発想の転換と、友人の支援と、そしてそれらがもたらす幸運によって実現しました。
本日は、皆さんの晴れの門出に当たり、今後の更なる成長を期待してお祝いの挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。
リマ日本人学校の卒業式に出席するのは初めてです。本来であれば、日本人学校にお伺いして直接お祝いしたかったのですが、パンデミックのためにそれが実現できず、本当に残念です。
これまで、クアラルンプール、ブリュッセル、デトロイト、クルーブランド、コロンバス、シンシナチ、上海等世界各地の日本人学校や日本語補習校の卒業式に出席して来ました。各地それぞれに特徴があります。例えば、上海には日本人小学校が2カ所ありますが、小学6年生の卒業生は合わせて300名近くいました。本日は、3人しかおらず上海の百分の1の規模ですが、その分、百倍のお祝いの気持ちが込められていると思って下さい。
10年前のこの時期は、ブリュッセルに住んでいて、現地の日本人学校・日本語補習校の卒業式に出席しました。ちょうど、東日本大震災が発生した時で、卒業生の児童・生徒が大きな不安を抱えて卒業して行ったのを昨日のことのように覚えています。
さて、卒業生の皆さん。卒業本当におめでとうございます。また、保護者の皆様に心よりお祝い申し上げます。
そして、生徒の皆さんを今日まで温かく見守り指導して頂いた教職員の方々に感謝申し上げます。
更に、運営委員会、PTA並びに全保護者の皆様に対し、学校運営と子供たちの成長のために多大な時間とエネルギーを注いで頂いたことを感謝申し上げます。また、温かい支援を頂いている地元関係者に対し心より御礼申し上げます。
ところで皆さん、リマでの学校生活はいかがでしたか?普通海外日本人学校の場合、親の転勤のため、途中で転校して来て、また、途中で去って行く児童も多いのですが、今回の3名の皆さんは、全員、6年間この学校に通ったと伺っています。みんなきっと一生忘れられないすばらしい思い出を沢山作ったのではないでしょうか。新型コロナウイルスが蔓延する中で、この1年間はオンライン授業、そして本日はオンライン卒業式を行ったことも、将来社会人になって振り返ると忘れがたい思い出になると思います。
皆さんは、全員、当地日本人学校中学部に進学されると伺いました。今後、節目節目で皆さん方の成長振りをここで拝見できるのを楽しみにしています。皆さんがこれから、中学生、高校生、大学生、そして社会人になる頃には、日本と世界各国との関係は現在のパンデミックにも拘わらず、それを克服して更に深くなっているでしょう。将来、国際社会の中で生きていくためには、日本、ペルー、そして世界のことを勉強して、異なった人々や文化に触れて自分を更に一層成長させて下さい。
その観点からすれば、皆さんは大変恵まれた環境で学んで来られました。ここペルーで異文化に触れながら日本語による日本の教育を受けて来られました。これは、きっと、皆さんの一生の財産となります。なぜなら、今後の日本、そして世界は、ますます皆さんのような立派な日本人であり、かつ、同時にグローバルな視点を持った国際人でもある人材を求めているからです。
私は、今から48年前に小学校を卒業しました。その後の約50年間は、長いようで短い、短いようで長い年月でした。この間、日本社会は人口増加、高度成長、世界第二の経済大国、バブル経済と浮かれ、その後は低成長、デフレ、財政赤字から、少子高齢化、人口減少という大きな挑戦に今直面しています。22世紀を経験する可能性のある皆さんにとって、想像もつかない変化が、更に今後の数十年間で起きることでしょう。
さて、この学校で、皆さんは、きっと尊敬できる立派な先生や親友にも巡り会えたのではないかと思います。札幌農学校(現在の北海道大学の前身)のウイリアム・クラーク博士(マサチューセッツ農業大学学長)のことをみなさんご存じだと思います。「少年よ大志を抱け」(Boys, be ambitious!)の言葉で有名ですね。もちろん、少年だけのことでなく、「若者よ、大志を抱け」と言った方が良いでしょう。明治時代の青年に大きな影響を与えました。しかし、彼が札幌にいたのはわずか8ヶ月です。そして、直接教えた学生は実は少数でした。しかし、内村鑑三、新渡戸稲造といったその影響を受けた卒業生が、その後近代日本に果たした役割には大きいものがあります。自分の一生に大きな影響を与える貴重な体験や出会いは、時間の長さでは必ずしもなく、受け手の感受性次第だということを覚えておいて下さい。皆さんもアンテナを高く張り巡らして貴重な出会いや切っ掛けを大事にして下さい。
最後にひとつ、贈る言葉を述べたいと思います。私は、広島県の福山市という瀬戸内の城下町で育ちました。広島県は移民を多く出している県でペルーにも広島県出身の日系人が少なくありません。小学校時代のある日、母校出身の大先輩の彫刻家平櫛田中という人が学校に講演にやってきました。文化勲章を受章した有名な芸術家でした。当時、90歳を越える高齢で講演の内容は全く覚えていないのですが、ひとつだけ、未だに頭に残っている彼の生活信条があります。それは、「今やらねばいつできる、わしがやらねば誰がやる」という言葉です。何か思いたったらすぐに取り組め、また、他人をあてにせず自ら率先してやれ、ということです。皆さんもこのような開拓者(パイオニア)精神をもって新しい時代を切り開いて下さい。
失敗を恐れず、どんどん、自分のやりたいことに情熱を持って挑戦して下さい。過去の偉大な発明や業績は、最初は、「そんなことは無理に決まっている」という周囲の冷たい視線で始まりました。そして、最後には、自らのたゆまぬ努力と継続、創意工夫と、発想の転換と、友人の支援と、そしてそれらがもたらす幸運によって実現しました。
本日は、皆さんの晴れの門出に当たり、今後の更なる成長を期待してお祝いの挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。