4月のペルー内政と外交の主な動きは以下のとおり

令和6年5月24日
【概要】
1 内政
●1日、6大臣の交代が行われた。
●3日、国会においてアドリアンセン首相に対する信任投票が行われ、賛成70、反対36、棄権17で信任された。
●5日、ボルアルテ大統領は、自身が渦中にいるロレックスゲートについて釈明した。
●8日、イプソス社による最新のボルアルテ政権支持率及び不支持率が公表され、支持率は8%、不支持率は86%であった。
●10日、当国政府が、米国人権裁判所(Corte-IDH)から4月2日までに提出を求められていたフジモリ元大統領の恩赦執行に係る報告書の内容が明らかになった。
●10日、国会は、ムチョ・エネルギー鉱山大臣に出されていた問責決議を否決した。
●11日、国会は、ウルテアガ文化大臣に対する問責決議を否決した。
●14日、ダトゥム社による最新のボルアルテ政権支持率及び不支持率が公表され、支持率は7%、不支持率は88%であった。
●15日、ロレックスゲートの渦中にあるオスコリマ・アヤクチョ州知事が、2016-2020年の間に宛先不明の口座から490万ソルを受け取っていたことが明らかになった。
●22日、ボルアルテ大統領は、チャビン・デ・ワンタル作戦27周年記念式典に出席した。
●23日、政治汚職に係る検察特別チーム(EFICCOP)は、ベナビデス前検事総長とビジャヌエバ・元ベネビデス氏顧問に関係するさまざまな人物の自宅や事務所を家宅捜索した。
●28日、フジモリ元大統領が、舌の検査を受けるため検査入院した。
 
2 外交・国際関係
●2日、1日に就任したカミノ新外務副大臣の宣誓式が外務省トーレ・タグレ宮で行われた。
●6日、ペルー外務省は、エクアドル当局によるメキシコ大使館不法侵入を非難する公式声明を発表した。
●8日、ゴンサレス-オラエチェア外相は、11月のチャンカイ港開港式にあわせて、習近平国家主席がペルーを訪問することが非公式に承認されている旨明らかにした。また、「ゴ」外相が、4月末中国を公式訪問することも明らかにした。
●12日、ペルーが国連経済社会理事会(ECOSOC)の補助機関である国連女性の地位委員会と開発のための科学技術委員会のメンバーに選出された。
●13日、当国外務省は、イスラエル内戦及び中東地域における暴力の悪化を非難する公式声明を発表した。
●16-18日、リマ市アンコン区にて各国駐在ペルー大使、国際機関代表他による会合が行われ、強化された外交政策について話し合いが行われた。
●25日、コントレラス元農業開発灌漑大臣がFAOペルー常駐代表に任命された。
●29日、ゴンサレス-オラエチェア外相は、中国北京にて韓正国家副主席及び王毅外相と会談した。
●29日、当国外務省トーレ・タグレ宮にて、日秘和親貿易航海仮条約のユネスコ「世界の記憶」ラ米・カリブ海地域登録認定式が開催された。
 
【本文】
1 内政
(1)6大臣の交代
 1日、6大臣の交代を受け、新たにオルティス内相、ケロ教育相、マネロ農業開発灌漑相、ゴンサレス生産相、ガルド通商観光相及びエルナンデス女性社会的弱者相が就任し、宣誓式が実施された。
 
(2)アドリアンセン首相に対する信任投票
 3日、国会においてアドリアンセン首相に対する信任投票が行われ、賛成70、反対36、棄権17で信任された。
 
(3)ロレックスゲートに係るボルアルテ大統領の釈明
 5日、ボルアルテ大統領は、自身が渦中にいるロレックスゲートについて言及し、国会で使用したいくつかのロレックスの時計は、オスコリマ・アヤクチョ州知事によって貸与されたと明言した。
 
(4)イプソス社による最新の政権支持率・不支持率
 8日、イプソス社による最新のボルアルテ政権支持率及び不支持率が公表され、支持率は8%、不支持率は86%であった。なお、アドリアンセン首相の支持率は8%、不支持率は67%であった。
 
(5)米州人権裁判所に対するフジモリ元大統領の恩赦執行に係る報告書の提出
 10日、当国政府が、米国人権裁判所(Corte-IDH)から4月2日までに提出を求められていたフジモリ元大統領の恩赦執行に係る報告書を1日に提出したことが明らかになった。同報告書において、アルトス事件(当館注1)とカントゥタ事件(当館注2)に関連して懲役25年の判決を受けたフジモリ元大統領の恩赦を正当化するよう主張した他、フジモリ元大統領の肉体的・精神的状況を考慮し、恩赦は認められるべきとの内容が含まれていた。
 
(6)ムチョ・エネルギー鉱山大臣に対する問責決議
 10日、国会は、ムチョ・エネルギー鉱山大臣に出されていた問責決議を賛成25,反対68,棄権16にて否決した。
 
(7)ウルテアガ文化大臣に対する問責決議
 11日、国会は、ウルテアガ文化大臣に対する問責決議を賛成51、反対31,棄権15にて否決した。
 
(8)ダトゥム社による最新の政権支持率・不支持率
 14日、ダトゥム社による最新のボルアルテ政権支持率及び不支持率が公表され、支持率は7%、不支持率は88%であった。過去20年間で最も低い政権支持率を記録した。
 
(9)オスコリマ・アヤクチョ州知事不正受給疑惑
 15日、ロレックスゲートの渦中にあるオスコリマ・アヤクチョ州知事が、2016-2020年の間に宛先不明の口座から490万ソルを受け取っていたことが明らかになった。
 
(10)チャビン・デ・ワンタル作戦27周年記念式典
 22日、ボルアルテ大統領は、チャビン・デ・ワンタル作戦27周年記念式典に出席した。式典での演説では、チャビン・デ・ワンタル作戦によって72人の人質が無事救出されたことに触れ、ペルーが今後テロに屈さないため国民の結束を求めた。
 
(11)ベナビデス前検事総長関連家宅捜索
 23日、政治汚職に係る検察特別チーム(EFICCOP)は、ベナビデス前検事総長が率いているとされる犯罪組織の捜査のため、同元検事総長とビヤヌエバ・元ベネビデス氏顧問に関係するさまざまな人物7人の自宅や事務所等あわせて21件を家宅捜索した。
 
(12)フジモリ元大統領の検査入院
 28日、ケイコ・フジモリ人民勢力党首は、父であるフジモリ元大統領が、舌の検査を受けるためリマ市ミラフローレス区にあるデルガド・クリニックに入院したと明らかにした。
 
2 外交・国際関係
(1)カミノ新外務副大臣宣誓式
 2日、1日に就任したカミノ新外務副大臣の宣誓式が外務省トーレ・タグレ宮で行われた。宣誓式で、ゴンサレス-オラエチェア外相は、イゲラス前外務副大臣の功績を称えた上で、同氏が、駐英ペルー大使に就任する予定であることを明らかにした。
 
(2)外務省による声明発出:エクアドル当局によるメキシコ大使館不法侵入
 6日、ペルー外務省は、エクアドル当局によるメキシコ大使館不法侵入を非難する公式声明を発表した。その上で、国家間の良好な関係のための手続きを保証する1961年の外交関係に関するウィーン条約の規則に違反するいかなる行為も拒否するペルー政府の立場を明確にした。
 
(3)ゴンサレス-オラエチェア外相インタビュー
 8日、ゴンサレス-オラエチェア外相は、11月のチャンカイ港開港式にあわせて、習近平国家主席がペルーを訪問することが非公式に承認されている旨明らかにした。また、「ゴ」外相が、4月末中国を公式訪問することも明らかにした。
 
(4)ペルーの国際機関メンバーへの選出
 12日、9日に開催された国連経済社会理事会(ECOSOC)会合で、ペルーはECOSOCの補助機関である国連女性の地位委員会(2025-2027年)と開発のための科学技術委員会(2025-2028年)のメンバーに選出された。
 
(5)外務省による声明発出:イスラエル及び中東情勢
 13日、当国外務省は、イスラエル内戦及び中東地域における暴力の悪化を非難する公式声明を発表した。また、国連憲章の原則を忠実に尊重し、暴力の即時停止を促し、国際人道法の原則を分け隔てなく遵守することを求める旨発表した。
 
(6)各国駐在ペルー大使、国際機関代表者他による会合
 16-18日、リマ市アンコン区にて各国駐在ペルー大使、国際機関代表者他による会合が行われ、同会合で話し合われた内容を元に、数ヶ月以内に2023年に当国外務省が発表した「強化された外交政策」の修正版を公表する旨明らかにした。
 
(7)コントレラス元農業開発灌漑大臣のFAOペルー常駐代表任命
 25日、コントレラス元農業開発灌漑大臣がイタリアに本部を置くFAOペルー常駐代表に任命された。
 
(8)ゴンサレス-オラエチェア外相と韓正国家副主席の会談
 29日、ゴンサレス-オラエチェア外相は、中国北京にて韓正国家副主席と会談し、両国間の経済関係について意見交換が行われた他、ペルーAPEC2024やチャンカイ港の開発等についても話し合いが行われた。
 
(9)ペルー中国外相会談
同日、ゴンサレス-オラエチェア外相は、中国北京にて王毅外相と会談し、習近平国家主席がペルーAPECリーダーズウィークにあわせてペルーを訪問できるよう公式の招待状を中国側に手交した他、両国間で締結された自由貿易協定や「包括的戦略的パートナーシップ」について話し合いが行われた。
 
(10)日秘和親貿易航海仮条約のユネスコ「世界の記憶」ラ米・カリブ海地域登録認定式
 29日、当国外務省トーレ・タグレ宮にて、日秘和親貿易航海仮条約のユネスコ「世界の記憶」ラ米・カリブ海地域登録認定式がカミノ外務副大臣出席の下、開催された。
 
(当館注1)1991年、準国軍兵士(コリーナ部隊)がアルトス地区の建物に押し入り、テロリストと間違えて集まっていた民間人を殺害した事件。
 
(当館注2)1992-1993年、準国軍兵士(コリーナ部隊)がラ・カントゥタ教育大学に押し入り、テロリストと見られていた教授・学生を殺害した事件。(了)